関田英里関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1日 - 2002年(平成14年)10月30日)は、日本の経済学者。元高知大学学長、同大学名誉教授。専門は経済史、農業経済学。高知県生まれ。 経歴1921年9月1日、高知県長岡郡大篠村大埇(現南国市)において、海軍武官の父関田繁里と母豊榮の長男として生まれる。幼少期は郷里で祖父母のもとに過ごし、1927年に父母のもとへ上京。1934年3月、東京市世田谷区立八幡尋常小学校を卒業。同年4月、父の赴任先の長崎県立佐世保中学校を受験し入学。1935年秋頃、父の転勤に伴い麻布中学校に転入。1937年夏頃、父の死に伴い帰郷し高知県立高知城東中学校に転入[1]。1938年3月、同校を修了。同年4月、旧制高知高等学校文科甲類に入学[2]。1941年3月、同校を卒業。同年4月、東京帝国大学経済学部経済学科に入学。1944年9月、同校を卒業。在学中の1943年10月、文科系大学生の徴兵猶予の制度が停止となり、徴兵検査を受けさせられる。検査の結果、筋骨薄弱のため丙種合格となり、第二国民兵役に編入される。同年12月、臨時召集により高知朝倉の歩兵第44聯隊補充隊に入営(学徒出陣)、二等兵として初年兵訓練を受ける。その後、熊本の西部軍教育隊を経て、浜松の第61飛行場大隊にて陸軍見習士官として終戦を迎える。 復員後、高知新聞記者[3]、高知県立女子専門学校講師、中央労働委員会書記を経て、1949年に労働事務官から文部教官へ転任、高知大学へ出向する。以後、同大学で文理学部助手、文理学部講師、文理学部助教授を経て、1967年8月に文理学部教授、1977年5月に人文学部教授。また、高知大学評議員、高知大学一般教育主事、高知大学人文学部長、国立大学協会第5常置委員会委員、高知大学長事務取扱を歴任し、1983年9月に高知大学学長に就任。その後も、国立大学協会第3常置委員会委員、高知医科大学参与、国立大学協会理事・第4常置委員会委員、国立大学協会第6常置委員会委員を歴任し、1989年9月に高知大学学長を任期満了で退官。高知大学名誉教授の称号を授与される。2002年10月30日、死去。享年82。 専門は経済史と農業経済学で、早くから土佐における「郷士」や「石高」の研究で注目された。社会経済史に関する研究、近世村方騒擾に関する研究、高知県農業問題に関する研究、教育問題に関する研究など、その業績は多岐に亘り、多数の著書・論文・研究業績を残す。また、さまざまな分野の学会に所属し、社会経済史学会、地方史研究協議会、土地制度史学会では評議員などの全国委員を歴任。社会経済史学会では中国四国部会理事も務めた。学外での活動も幅広く、高知県過疎問題協議会、高知市消費者保護会議、高知市商工業振興委員会で会長・委員長を務めたほか、「高知市民の大学」顧問や「高知の文化を考える会」座長を務めるなど、官民問わず多くの活動に携わり、大学を地域に身近なものとした。高知大学学長を退官後は、自由民権記念館建設期成会副会長を経て高知市立自由民権記念館初代館長に就任(1990年〜1995年)、若手の職員を指導・激励して同館の礎を築いた。 年譜
所属学会
学外活動審議会等
民間団体
著書
論文
研究業績調査報告書
書評
文献解題
辞典項目担当
学会報告
親族関田家他家
脚注参考文献
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