関山信之
関山 信之(せきやま のぶゆき、1934年2月5日 - 2014年8月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)。 人物東京都新宿区生まれ。在学中から社会主義協会に入会。卒業後、社会主義協会事務局に勤務。趣味は茶道(石州流)。 1983年に行われた第37回衆議院議員総選挙に日本社会党より旧新潟1区から出馬し、初当選。以後4期連続当選。当初は社会主義協会に所属したが後に右派に転向、村山富市の側近として活動した。1994年に村山が党委員長に就任すると政策審議会長に就任。加藤紘一、枝野幸男と共に自社さ3党連立の実務者協議を行い、合意し村山政権の誕生に貢献した。 1996年、社会民主党を離党。同年の第41回衆議院議員総選挙に新進党と民主党の支援を受け無所属で新潟1区から出馬したが自由民主党から出馬した吉田六左ェ門に敗れ落選。翌年、民主党新潟県連設立に参加し、初代県連代表に就任。2000年の第42回衆議院議員総選挙及び2001年の第19回参議院議員選挙に出馬するもいずれも落選し、政治活動から引退した。後継は立憲民主党の西村智奈美。 2014年8月18日、胃癌のため新潟市東区の病院で死去[1]。80歳没。 略歴
政策
役職
脚注
関連項目外部リンク
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