関口氏暁
関口 氏暁(せきぐち うじとき[1]、1640年 - 1729年12月2日/享保14年10月12日)は、江戸時代前・中期の日本の武士、柔術家である[1]。関口新心流四代目宗家。通称は関口 弥太郎(せきぐち やたろう)[1]、号は蟻楼(ぎろう)[2]。「氏暁」の読みは「うじあき」とも[2]。「剣の達人」として知られた[2]。実在の人物であるが、講談や映画などにも取り上げられ、経歴についての異説や、史実とは異なる描写も多く流布されている。 人物・来歴1640年(寛永17年)、播磨国(現在の兵庫県南西部)に、柔術・関口新心流の開祖、関口氏心の三男として生まれる[1]。長兄は関口氏業(二代目)、次兄が関口氏英(三代目)である。寛永9年(1632年)9月22日に行われた「寛永御前試合」に出場したとする文献があるが、まだ生まれていない。 紀州徳川家に仕えた[1]。数寄屋奉行、郡奉行、鉄砲改役等を歴任した[1]。関口新心流三代目の氏英の嫡男・氏一が成人するまで、四代目を務めた[2]。 1729年12月2日(享保14年10月12日)、死去した[1]。享年90(満88-89歳没)。父同様に江戸に贋者が現れたといい、「関口新心流」によれば、東京都足立区伊興町狭間の法受寺にある墓は贋者のものであるという[2]。 講談の主人公として登場し、二本松藩士として描かれるが、事実とは異なる[2]。講談や剣豪小説、またそれらを原作とした映画の中では、妻とともに仇討ちの旅に出る設定のキャラクターとして描かれている[2]。 フィルモグラフィ日本映画データベース、キネマ旬報映画データベース等にみられる「関口氏暁」(弥太郎)の登場する劇映画一覧である。末尾の俳優が氏暁(弥太郎)を演じた。
脚注参考文献
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