長谷 有洋(はせ ありひろ、1965年4月22日[2] - 1996年7月30日[6])は、日本の声優、俳優。東京都出身[2][3]。シグマクラブに所属していた[4]。
俳優・声優のはせさん治と女優の長谷妙子の長男[5]。
来歴
父はせさん治の影響で俳優を志し、中学3年生から劇団こまどりに入団し、ホームドラマで子役としてデビュー[6]。その後はプロダクション・エムスリー[2]、シグマクラブ[4]に所属していた。日本大学鶴ヶ丘高等学校2年生のときに声優オーディションを受け、『キャプテン』のキャッチャー小山役、次いで『超時空要塞マクロス』の主人公、一条輝役に抜擢された[注 1]。自分と同じ17歳という設定の輝役を等身大で演じ、初主演にしてはまり役となった[6]。
日本大学芸術学部放送学科卒[6]。
一時は不振に陥り、ほとんど声優の仕事がない時期もあった。しかし、1990年代に入ってからは実力も向上し、端役ながら声優・俳優として徐々に仕事を増やしていた。1991年から5年間、NHKラジオ第2の『ことばの教室』にレギュラー出演し、亡くなる前には連続ドラマのレギュラー出演も決まっていた[6]。
1996年7月30日の午前4時頃、実家のマンションの7階から転落死しているのを弟が発見した[6]。31歳没。事故原因は不明だが、父親のはせさん治は「突然、命を絶ってしまった[6]」と語っている。墓石の横には「一条輝役 長谷有洋」と刻まれている[6]。
人物
- 趣味は映画観賞と映画のパンフレット収集[7]。散歩がてら見知らぬ駅で降り、辺りの古本屋でパンフレットを探す[7]。特技はタップダンス[2]、水泳[2]。
- 幼い頃から手品が好きで、自宅近所の立教大学のマジック研究会に出入りして技を覚えた[6]。カードやコインを使う手品が得意[7]。演技の道に進むまで、家族はマジシャンになりたいのかと思っていた[6]。
- 小学校高学年時代は放送委員会、中学時代はブラスバンド部で打楽器を担当していた[6]。
- 『超時空要塞マクロス』のオーディションに劇団こまどりから派遣される5人の中に選ばれていなかったが、そのうち1人が前日に都合が悪くなり、代わりにオーディションを受けて一条輝役に合格した[8]。オーディション会場に入る長谷をみて、キャラクターデザイン担当の美樹本晴彦は「あ、輝が来た!」と言ったという[9]。『マクロス』のアフレコスタジオには、高校帰りに学生服姿で通っていた[10]。
後任
長谷の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
出演
太字はメインキャラクター。
テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
ゲーム
テレビドラマ
映画
ラジオ
CD
- 超時空要塞マクロス MISS.D.J. (一条輝)
- 超時空要塞マクロス・インサイドストーリー マクロス・クラシック(一条輝)
テレビ番組
CM
脚注
注釈
出典
- ^ a b 「声優インタビュー 特別企画 新人座談会」『月刊OUT』1984年2月号、みのり書房、1984年2月1日、71-78頁。
- ^ a b c d e f g h i 『日本タレント名鑑1993』VIPタイムズ社、1993年、259頁。
- ^ a b “長谷 有洋のプロフィール”. allcinema. 2023年11月5日閲覧。
- ^ a b c d 『日本タレント名鑑(1996年版)』VIPタイムズ社、1996年、310頁。
- ^ a b c “七七日忌挨拶”. はせさんの部屋. 2019年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 小野澄恵:取材・構成「ぼくは神さまに会って話をしたい 役者・長谷有洋の記録」『コミック・フィギュア王』、ワールドフォトプレス、1999年、144-145頁。
- ^ a b c 『アニメージュ 1984年4月号』、徳間書店、149頁。
- ^ 「VOICE TOPIC」『アニメージュ 1983年4月号』、徳間書店、149頁。
- ^ 「りん子&まみのANIME STAR情報局」『アニメディア 1984年1月号』、学習研究社、112頁。
- ^ 竹田えり [@Eri_Takeda] (2017年9月17日). "河森正治監督と奨くんと3人で。". X(旧Twitter)より2018年8月28日閲覧。
- ^ “超時空要塞マクロス”. メディア芸術データベース. 2022年1月13日閲覧。
- ^ “超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか”. メディア芸術データベース. 2022年1月13日閲覧。
関連項目
外部リンク