長谷川英憲
長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2022年5月8日)は、日本の政治家。中核派の政治団体「都政を革新する会」(旧「杉並革新連盟」)代表[1]。杉並区議会議員(5期)、東京都議会議員(1期)を務めた。 選挙では、名前を平仮名にした長谷川 ひでのりの表記も用いる。また、俗称に長谷川 エイケン、ハセケン。 来歴長野県生まれ。長野県小諸商業高等学校を卒業し、会計検査院に入庁した。働きながら早稲田大学第二政治経済学部を卒業。 1967年、70年安保や沖縄返還、公害、消費者保護を争点に杉並区議会議員選挙に立候補し、初当選。以後1971年、1975年、1979年、1983年と杉並区議に連続当選。 1985年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から立候補するも落選。 1987年、東京都議会議員補欠選挙に杉並区選挙区から立候補するも落選。 1989年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から立候補し、初当選。 1993年、東京都議会議員選挙に再選を目指し立候補するも、落選した。 1997年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から都政復帰を目指し立候補するも、落選。 1999年、東京都議会議員補欠選挙に杉並区選挙区から立候補するも、落選。同年「都政を革新する会」によって結成された「介護と福祉を要求する杉並住民の会」の事務局長となった。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に東京都第8区から無所属で立候補するが、惨敗(当選者は石原伸晃)。 2001年の東京都議会議員選挙では、杉並区選挙区に「都政を革新する会」の杉並区議結柴誠一が立候補、長谷川はこの支援に回ったが落選。 2005年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から再び長谷川が立候補したが、落選した。以後、選挙への立候補はない。 人物
脚注・出典
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