長田清治郎長田 清治郎 (ながた せいじろう、1891年(明治24年)7月27日[1] - 1961年(昭和36年)1月10日[2])は、日本の実業家。三菱化工機社長[1][2][3]。 経歴鳥取県鳥取市出身[1]。呉服太物商・長田幾蔵の長男[4]。1915年、神戸高等商業学校を卒業[1]。三菱合資に入社、三菱重工業に配属され長崎支店をふり出しに、本店営業第五部長、機械部長、三原車輛製作所長等を歴任して1946年12月に取締役に選任される[2]。 1950年中日本重工業の取締役に転じて活躍中、偶々三菱化工機が潰れかかったので同社の再建に起用され、1952年1月同社に顧問で入り、翌2月社長に就任する[2]。 1961年1月10日、突然脳出血を起こして東京都世田谷区上馬1丁目の自宅で逝去する[2]。1月12日、葬儀は小石川音羽の護国寺で三菱化工機の社葬として営まれる[2]。 人物家族・親族
脚注
参考文献
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