長寿吉
長 寿吉(ちょう ひさよし、1880年8月4日 - 1971年3月21日)は、日本の西洋史家。 経歴1880年、大分県生まれ。長三洲の長男。弟は貴族院議員を務めた長世吉。号は岵雪。1904年、東京帝国大学文学部西洋史学科を卒業。奈良女子高等師範学校教授、学習院教授、九州帝国大学法文学部教授。1930年、「The Hohenzollern testaments and the diplomatic policy of the two electors」(ホーエンツォレルン遺書と二人の選帝侯の外交政策)」を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。1941年に九州帝国大学を定年退官。修齊女学院講師。戦後は上智大学教授を務めた。 近世ドイツの政治史を研究した[1]。同郷の人物である広瀬淡窓についても研究と著作がある。墓所は多磨霊園[2]。 著書
共著
編校訂翻訳
記念論集
脚注 |