鍋島直暠鍋島 直暠(なべしま なおてる、天保3年10月26日(1832年11月18日) - 明治16年(1883年)10月1日)は、肥前国佐賀藩の国老。藩主一門の白石鍋島家鍋島直喬の子。通称は四郎、河内。号は西湖。 幕末維新期に勤王政策を推し進めた。明治7年(1874年)の佐賀の乱、同10年(1877年)の西南戦争と、士族反乱の事後処理に尽力した。明治16年(1883年)、52歳で没した。墓所は多磨霊園[1]と佐賀市本行寺[2]。白石神社(佐賀県みやき町)に祀られている。明治30年(1897年)10月27日、家督を継いだ鍋島直明に男爵が叙爵された。 関連項目参考文献
|