鍋島忠直
鍋島 忠直(なべしま ただなお)は、江戸時代前期の肥前国佐賀藩の世嗣。官位は従五位下・肥前守。 略歴初代藩主・鍋島勝茂の四男として誕生。母は徳川家康の養女(岡部長盛の娘)・菊姫。幼名は翁助。 勝茂の四男であるが、徳川家から迎えた菊姫との間にできた男子であったため、長兄・元茂など3人の兄を差し置いて嫡男として扱われる[2]。元和8年(1622年)、徳川秀忠から偏諱の「忠」の字と松平の氏姓を授けられた。[3]この鍋島家の松平姓および将軍の偏諱拝領は、この時以降幕末まで代々継承される[4](一方、諱の「直」の字は祖父の直茂から取ったものである)。2代藩主の座を約束されていたが、疱瘡にかかり早世する。享年23。法名は興国院殿敬英賢崇大居士。 代わって、忠直の長男・光茂が勝茂から嫡孫継承することとなった。 系譜脚注 |