錦小路頼孝錦小路 頼孝(にしきこうじ[1] / にしきのこうじ[2] よりたか、1903年〈明治36年〉2月19日[1] - 1950年〈昭和25年〉6月13日[1][2])は、昭和期の教員、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・在孝[1]。 経歴子爵・唐橋在正の五男として生まれる[1][3]。叔父、子爵・錦小路在明の死去に伴い、その家督を継承して頼孝と改名し、1912年(明治45年)6月10日に子爵を襲爵した[1][3]。 1927年(昭和2年)東京帝国大学文学部を卒業した[2][3]。1928年(昭和3年)東京府立園芸学校教諭に就任[2]。その他、逓信省委員、運輸通信省委員、歌会始講頌などを務めた[2]。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[4][5]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2]。 親族脚注参考文献
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