鈴木繁二
鈴木 繁二(すずき しげじ、1892年(明治25年)11月20日[1] - 1945年(昭和20年)6月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2] 経歴1892年(明治25年)に福井県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第34期卒業[1]。1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、第4独立守備隊参謀に就任した[2]。1939年(昭和14年)に留守第7師団参謀長を経て[2]、1940年(昭和15年)10月4日に河北省特務機関長に就任し[2][3]、日中戦争に出動[1]。 1941年(昭和16年)8月に陸軍少将に進級し[2]、1943年(昭和18年)に第19歩兵団長(朝鮮軍・第19師団)に転じた[1]。1944年(昭和19年)1月10日に留守近衛第2師団兵務部長[1]、近衛第3師団兵務部長を経て[4]、5月10日に独立混成第44旅団長に就任し[1]、沖縄県の守備に当たる[1]。米軍上陸に対して激しく抵抗したが[1]、6月22日に戦死[1]。同日任陸軍中将[1]。 栄典脚注参考文献
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