鈴木星海鈴木 星海(すずき せいかい、天明2年〈1782年〉 - 文久2年閏8月4日〈1862年9月27日〉)とは、江戸時代の京都の暦学者、儒家、文人画家。 来歴播州赤穂の生れで名は世孝、通称は俊平または図書。字は子養。星海漁翁、南山と号す。もとは赤穂藩森家に仕え、赤穂事件で有名な大石良雄の家とは縁戚の関係にあったという。文化8年(1811年)以前に京に上り、京都梅小路斉政館(土御門家)に住み、土御門家の都講(塾頭)となった。『平安人物志』には「儒家」と「文人画」の部に「鈴木世孝」として名があり、画家としても知られる。弘化4年(1847年)の序文を持つ『皇都書画人名録』には、「書 四条堺町西 鈴木南山 名世孝字子養」とあり、この頃には四条堺町西に住んでいたのがうかがえる。還暦を過ぎると土御門家への出仕を辞め、その代わりを息子の鈴木百年が勤めた。享年81。諡号は曠達居士、墓所は京都東山安養寺。 参考文献
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