金浦 (笠岡市)
金浦(かなうら[1])は、岡山県笠岡市にある大字である。同市編入前は小田郡金浦町(金浦村)に属する大字である西浜(ようすな)を名乗った。編入後に現行の名称に改称している[2]。明治以前は西浜村であった。 古くからの漁港として栄え、現在も江戸時代からの古い町並みが、所々に残る。また源平合戦(治承・寿永の乱)を模した「ひったか」「おしぐらんご」といった地区の伝統祭が毎年5月下旬から6月上旬頃に開催されている。 郵便番号は〒714-0057(笠岡郵便局管区)。人口は4594人(男性2215人、女性2379人)。世帯数は2182世帯(いずれも令和3年10月現在)。面積は平方0.93km[3]。 沿革歴史市の西南部金浦湾の東岸にある大きな漁港集落である。『和名類聚抄』に載る小田郡魚渚郷に属したとされる。笠岡市編入以前は、西浜と書いて「ようすな」と称していた[4]。 この地方は毛利氏が領していたが慶長5年の関ヶ原の戦い後、幕府領(天領)となる。その後元和5年から備後福山藩主・水野氏が領有。元禄11年水野氏除封のあとは、幕府領に復し、笠岡代官所が管理した。『備中村鑑』によれば、西浜村の石高は152石4升であった[4]。 1889年(明治22年)6月1日、町村制施行により吉浜村などと合併して金浦村(のち金浦町)を置き大字西浜と称した[4]。 1952年(昭和27年)4月1日、東隣の笠岡町に編入合併、市制施行し笠岡市となる。大字を西浜から旧町名の金浦に改称し、現在に至る。なお、西浜の地名は大字としては改称したが、現在も地区内外でその名は使用されており、小字でも一部その名を残している。また、バス停などにもその名を冠している[4]。 地名の由来旧称の「西浜(ようすな)」は、『和名類聚抄』に載る古代郷名の「魚渚郷」の遺称とされる。同郷は「伊乎須奈(いをすな)」と万葉仮名が付されており、それが変化して「ようすな」となったとされる[4]。 現名称の金浦は、旧町(村)名から取ったもので、金浦湾に由来する。金浦湾は、日に照らされ海面が輝く様子に由来する名称といわれる[4]。 地勢
主要施設
交通
脚注参考文献
関連項目外部リンク
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