金成汗
金 成汗(キム・ソンガン、朝鮮語: 김성간、1912年11月17日 - 1984年5月29日)は、サッカー選手、サッカー指導者。第二次世界大戦前は日本代表選手、戦後は韓国代表のコーチなどを務めた。 経歴崇実中学、崇実専門、延喜専門などに所属。卒業後は全京城蹴球団などでプレーして、1935年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第15回天皇杯全日本サッカー選手権大会)のチームの優勝に貢献した。 1939年8月の関東州代表戦で日本代表として初出場[1]し、翌1940年まで日本代表として5試合に出場した。なお、国際Aマッチに該当するのは1940年6月16日のフィリピン代表戦の1試合である。 1946年に現役を引退した後は韓国代表のスタッフなどを歴任し、優勝した1956年アジアカップではコーチを務めた[2]。 その後、アメリカ合衆国に移住したが、1984年に交通事故で死去した。 代表歴出場大会
試合数
出場
脚注
外部リンク
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