野村安趙野村里之子親雲上安趙 (のむら サトゥヌシペーチン あんちょう、1805年6月28日 (嘉慶10年6月2日) - 1871年8月17日 (同治10年7月2日))は、琉球王国第二尚氏王統の古典音楽演奏家。野村流の始祖。童名は真蒲戸、唐名は毛文楊。 新城親方安基の支流で、野村家10代目。知念績高に師事。尚泰王の命により、音楽譜『野村工工四』(3巻)を編纂、1869年に完成。琉球古典音楽の重要な楽譜である。 系譜経歴(月日は旧暦)
関連人物幸地賢忠、新里朝住、照喜名聞覚、屋嘉比朝寄、豊原朝典、安冨祖正元。 参考文献
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