野宮 定穀(ののみや さだよし)は、幕末の公家、明治から大正期の宮内官・政治家・華族。貴族院子爵議員。
経歴
山城国京都で権中納言・竹屋光有の三男[注 1]として生まれ、慶応2年12月2日(1867年1月7日)、権中納言・野宮定功の養子となる[1][3][4]。同月8日、従五位下に叙され、慶応4年5月8日(1868年6月27日)に元服し昇殿を許された[3][4]。1880年(明治13年)12月2日、養父の隠居に伴い家督を継承[3][4]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。
1876年(明治9年)12月、宮中祗候に就任[2][4]。以後、滋宮祗候、青山御所勤番、同祗候、英照皇太后御葬祭斎官、大喪使祭官などを務めた[2][4]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、1904年(明治37年)7月9日まで在任[2]。1905年(明治38年)4月8日、貴族院子爵議員補欠選挙で再選され[8][9]、1918年(大正7年)7月9日まで通算3期在任した[2]。
系譜
脚注
注釈
- ^ 『華族畫報 下』568頁、『人事興信録 第6版』の23頁では二男。
出典
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』346-347頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』51頁。
- ^ a b c d 『野宮家譜』
- ^ a b c d e f g h 『華族畫報 下』568頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、8頁。
- ^ 『官報』第4248号、明治30年8月28日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、15頁。
- ^ 『官報』第6530号、明治38年4月11日。
- ^ 『人事興信録』第6版、の23頁。
- ^ 人事興信録第8版タ156
参考文献
- 『野宮家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。