遠藤直人 (内務官僚)
遠藤 直人(えんどう なおと、1898年(明治31年)2月3日 - 1986年(昭和61年)4月6日[1])は、日本の内務官僚。メナド州知事などを務め、兵庫県最後の官選知事であった。戦後は帰農した一方で、福島県公安委員長などの公職を務めた。 来歴・人物福島県耶麻郡熱塩加納村出身。遠藤直美の長男[2]。会津中学、二高を経て、1923年(大正13年)東京帝国大学を卒業。在学中に高等試験に合格しており、内務省に入省した。官歴は大阪府警部に始まる。山梨、長崎での勤務を経て、福岡の社会課、商工課兼水産課の各課長、富山、長崎の書記官、学務部長を歴任。1938年(昭和13年)、厚生省書記官として中央勤務となり、失業対策部総務課長として失業者対策を行った。太平洋戦争中は、海軍司政長官セレベス民政部メナド州知事として民政を担当。 1947年(昭和22年)3月から4月のひと月弱、知事選期間中の暫定知事として、最後の官選兵庫県知事を務める。公職追放[3]処分を受け郷里で帰農したが、村教育委員、土地改良区理事長、福島県公安委員、同第二代委員長[4]などの公職も務めている。 1986年(昭和61年)4月6日死去。享年88。 出典
参考文献
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