近藤兼利
近藤 兼利(こんどう かねとし、1893年(明治26年)5月2日[1] - 1976年(昭和51年)8月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1893年(明治26年)に石川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1938年(昭和13年)6月13日に飛行大5連隊に就任し[2]、7月15日に陸軍航空兵大佐に進級[2]、8月31日に飛行第5戦隊長となった[2]。1939年(昭和14年)8月に明野陸軍飛行学校幹事に転じ[2]、1941年(昭和16年)4月に白城子陸軍飛行学校航法部長に就任した[2]。 1942年(昭和17年)7月9日に第2飛行団長(関東軍・第2航空軍)に就任し[2]、会寧に駐屯[1]。同年8月1日に陸軍少将に進級[2]。1943年(昭和18年)6月に大刀洗陸軍飛行学校長に転じ[1]、1944年(昭和19年)1月10日より兼第3飛行場司令官[1]。6月20日に宇都宮教導飛行師団長に就任し[1]、1945年(昭和20年)3月1日に陸軍中将に進級し[2]、第10飛行師団長(航空総軍・第1航空軍)に親補された[1]。東京周辺の防空任務に就き[1]、終戦を迎えた[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。 栄典脚注参考文献
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