辰韓
辰韓(しんかん、紀元前2世紀 - 356年[1])は、朝鮮半島南部にあった三韓の一つ。帯方郡の南、後の新羅と重なる場所にあった地域である。その境は、南にある弁韓と接しており、入り組んでいた。もともと6国であったが、後に分かれて12国になった。そのうちの斯蘆が後の新羅になった。辰韓人は穀物と稲を育て、養蚕を生業としていた。『後漢書』弁辰伝や『三国志』魏書弁辰伝によると、馬韓人とは言語が異なっていたが、弁韓人とは互いに雑居し、風俗や言語は似通っていたという。ゆえに他国や他民族からは弁韓、辰韓をまとめて『弁辰』や同一発音の故に『秦韓』とも呼ばれていた。 辰韓 成立過程『三国志』には、辰韓人の言語は馬韓人の言語とは異なると記録されているが『三国志』の作者は実際に辰韓を訪ねてはいなかった[2]。 辰韓と新羅の関係韓国の歴史教科書は『三国史記』の神話に基づいて、「新羅の建国年は、紀元前57年」と記述している[3] 辰韓12カ国
脚注
参考文献
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