足利於菟丸
足利 於菟丸(あしかが おとまる、明治2年11月23日(1869年12月25日) - 昭和18年(1943年)5月24日)は、日本の華族(子爵)。下野喜連川藩11代藩主・喜連川(足利)縄氏の長男で、12代藩主・足利聡氏の養子。最初の妻は本庄宗武次女・栄(1876年 - 1895年)。2番目の妻は行信教校校長・日野沢依の長女・ヒロ(1881年 - 1956年)。 父・縄氏が隠居した後に生まれた。1876年(明治9年)、養父・聡氏の隠居に伴い、家督を相続した。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。1935年(昭和10年)に隠居し、家督を長男足利惇氏に譲る。1943年(昭和18年)に没した。 栄典脚注
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