赤山地下壕跡赤山地下壕跡(あかやまちかごうあと)の通称で知られる館山海軍航空隊赤山地下壕跡(たてやまかいぐんこうくうたいあかやまちかごうあと)は、千葉県館山市に存在する旧大日本帝国海軍が太平洋戦争期間中に建造したと考えられている地下壕(防空壕)の跡である。 概要地下空間の総延長は、日本国内で見ても比較的大規模な部類にあたる1.6キロメートルである[1]。 昭和10年代(1935年~)から建設が始まったという証言や説がある一方で、資料が乏しいこともあり建設時期はわかっていない[1][2]。ただし、1941年(昭和16年)以前にはこうした地下壕の建設記録が全国的に存在しないことや、構造からみて非計画的に建設が始まったであろうことから1944年(昭和19年)ごろから建設が始まったと考えられている[1][2]。また、壕内の発電所跡や証言などから、館山海軍航空隊の兵士らによって建設が始まり、防空壕として使われていたと考えられる[1][2]。また、戦時中には病室や電信室があったという証言もされている[1][2]。 一般公開2004年(平成16年)4月1日から、壕内の一部が一般公開されている。
アクセス
出典関連項目外部リンク
座標: 北緯34度58分54.3秒 東経139度50分30秒 / 北緯34.981750度 東経139.84167度 |