貞子女王 (徳川重好室)

貞子女王(ていしじょおう、1750年4月3日寛延3年2月27日) - 1820年9月28日文政3年8月22日[1])は、江戸時代中期の女性。清水徳川家初代当主・徳川重好正室。院号は貞章院(ていしょういん)。

生涯

伏見宮貞建親王の第6王女として生まれる[1]。幼称は田鶴宮[1]1763年宝暦13年)、清水徳川家初代当主の徳川重好の正室となった[1]1795年寛政7年)重好の死後、仏門に入って貞章院と号した[1]

1820年文政3年)、死去。諡号は貞章院心月妙観大姉[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 貞子女王』 - コトバンク
  2. ^ 小畠文鼎『万年の翠 : 相国寺小史』大本山相国寺事務所、1923年、p.62。