豊島家住宅(としまけじゅうたく)は、愛媛県松山市井門町にある歴史的建造物(民家)。国の重要文化財に指定されている[1]。
概要
中予地方の豪農で大庄屋格であった豊島家の邸宅である。1758年(宝暦8年)に建設された主屋(おもや)と表門、長屋門、長屋、米倉、衣装倉、中倉の計7棟が重要文化財に指定されている。豊島家には、藩の軍用馬の飼育が命じられ、馬屋が設けられていた。現存する長屋は、もとの馬屋を後に居室に改造したものである。また、当家は幕府の巡見使の宿泊所にも使用され、巡検使が滞在した座敷が残されている。主屋は、奥の居室部と手前の座敷部を雁行形に配し、これらを相の間で繋いで一体化し、それぞれに入母屋造屋根を架けた複雑な構成に特徴があり「井門の八棟造り」(いどのやつむねづくり)と呼ばれる。
1970年(昭和45年)6月17日に国の重要文化財に指定され、主屋は1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて、表門等の付属建物と塀は1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)にかけて、それぞれ解体修理が行われた。
八棟造りの代表例として、東武ワールドスクウェアに1/25のミニチュアがある。
建築概要
- 主屋
- 建築年代:1758年(宝暦8年)
- 総茅葺、庇本瓦葺
- 居室部 桁行24.6m、梁間11.8m、入母屋造、四面庇付
- 居室座敷取合部 桁行4.9m、梁行8.9m、入母屋造、東西面庇付
- 座敷部 桁行12.9m、梁間6.9m、入母屋造、東西面及び南面庇付、便所附属
- 主屋は敷地の東寄りに建ち、西側は庭園になっている。居室部(主体部)は、東側3分の2を土間、西側3分の1を居間、台所等の居室とする。東西棟の居室部の西端に矩折りに南北棟の屋根を架け、その南の東西棟の角屋(つのや)が座敷部となる。座敷部は書院、二の間、三の間からなり、書院は床(とこ)、棚、付書院を設けた本格的な数奇屋風の造りとし、欄間などに意匠をこらしている。修理時に居間の鴨居から宝暦8年(1758年)の墨書が発見され、これが建立年とされている。
- 長屋門
- 建築年代:江戸末期
- 長屋門、桁行11.0m、梁間2.5m、切妻造、本瓦葺
- 長屋
- 建築年代:江戸後期
- 桁行8.3m、梁間4.2m、切妻造、西面庇付、本瓦葺
- 米倉
- 建築年代:1917年(大正6年)
- 土蔵造、桁行9.6m、梁間7.1m、二階建、切妻造、南面庇付、本瓦葺
- 衣装倉
- 建築年代:明治
- 土蔵造、桁行4.1m、梁間4.6m、二階建、西端切妻造、東端米倉に接続、南面庇付、本瓦葺
- 中倉
- 江戸末期
- 土蔵造、桁行5.9m、梁間5.0m、両下造、東端衣装倉に接続、南面庇付、本瓦葺
所在地
〒791-1114 愛媛県松山市井門町421-1
公開状況
脚注
- ^ 文化財課 (2021年4月28日). “豊島家住宅7棟”. 愛媛県松山市. 2022年8月17日閲覧。
参考文献