護国寺 (京都市)
護国寺(ごこくじ)は、京都市山科区竹鼻にある日蓮宗の寺院である。山号は了光山。旧本山は京都妙傳寺。勇師法縁。 1872年(明治5年)までは僧侶の教育機関である山科檀林であった。 歴史護国寺は1643年(寛永20年)、京都市左京区にある本山妙傳寺十四世、法性院日勇によって真言宗護国院の跡地に開創された。 日勇は学徳高く、常に学室道場の必要を感じて洛中法華21ヶ寺の一つ、本山妙傳寺に歴世となるや現在の京都市山科区竹鼻に真言宗の古刹護国院の廃寺跡あると聞くに及び、これを求めて一宇を建立した。これが今の護国寺である。また日蓮宗の僧侶教育機関である山科檀林として1872年(明治5年)まで二百数十年間機能した。 四条隆術の室、妙慧院殿了光日耀大姉は深く日勇に帰依し開基檀越となる。紀州徳川家2代徳川光貞の室・安宮照子は一族菩提のため、総門・学徒寮を寄進した。さらに時の天皇・後水尾天皇の中宮・東福門院(徳川和子)は日勇を召して法華経を受講し、深く帰依し方丈・大講堂を寄進した。また、自ら縫った菊の御紋・金紋袈裟を下賜された。日蓮宗初の金紋袈裟と伝わる。以後、山科檀林の歴代化主は着衣を許され登檀した。1872年(明治5年)に山科檀林が廃止されると、20年間住職が常住せず境内は荒れ果てた。同年、廃仏毀釈により学室・学寮を失う。1892年(明治25年)に東音院日瑞が入寺するに及んで、荒地を開墾し、私財を投じて鐘楼・板頭寮・土蔵を移転修理、妙見堂を改修した。在職25年、その功績から中興の祖と仰がれる。 だんじょの水毎年この地は、水不足で苦労する土地であった。村民たちは用水工事を護国寺に懇願し、護国寺の僧侶と一体となって、余水を地下埋設水路によって導水する、画期的難工事を完成させた。時期は1690年(元禄3年)と伝わる。これを「だんじょ用水」と言う。以来三百有余年「だんじょ用水」は、昭和初期まで夏は冷たく、冬は温かい清らかな水が管一杯に溢れ、地域の人々の生活を支えてきた。近年地下鉄工事によって枯渇してしまったが、由緒ある史跡を憂い、保存会を立ち上げ「だんじょの水」として改修された。なお、だんじょとは「山科檀林」の別称である。現在、当地には浄行菩薩が祀られ、近隣交流の核として機能している。 寺宝
護国寺の馬場三条通りと醍醐街道の交差点に「馬場」があったが、1900年(明治33年)頃に消滅した。境内地を二分する街道が通ることとなる。 だんじょ餅1819年(文政2年)竹鼻村(現在の竹鼻竹ノ街道町)で三条街道に面する一軒の餅屋が商売をはじめる。明治元年まで営業していた。 アクセス
参考文献
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