諏方神社 (荒川区)
諏方神社(すわじんじゃ)は、東京都荒川区西日暮里の神社。新堀(日暮里)・谷中の総鎮守。諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社のひとつ。 例祭は毎年8月。境内や周辺の道路に露店が立ち並び、多くの人々で賑わう。3年に一度の御神幸祭と呼ばれる大祭では、本社神輿が町内を渡御する[1]。 概要1202年(元久2年)に創建された。豊島経泰が諏訪大社から勧請したという[2]。 文安年間(1444年~1499年)に、太田道灌より社領の寄進を受け、その後、徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられ江戸幕府も追認した[2]。 社殿はもとは山の麓にあったというが、寛永12年(1635年)、山上が開削された際に現在地に遷座した[1]。 江戸時代は谷中町や日暮里村の総鎮守として崇められており、谷中町を担当していた町火消「れ組」が奉納した鳥居や狛犬が現存している[2]。 明治時代になると、旧新堀村、現在の日暮里地区、および谷中村の総鎮守として、近郊の人々に篤く崇敬されるようになった。 昭和20年(1945年)3月の空襲で被災したが、昭和27年(1952年)復興した[1]。 社名について諏訪神社の分社ではあるが、当社は「諏方神社」と表記する。「諏方」が古来の表記であり、古文書などに使用例がある。諏訪地方も「洲羽」「須波」などと表記されることもあったが、和銅6年(713年)の続日本紀の「畿内七道諸国郡号の名は好き字を著けよ」の制以降、「諏訪」となったようである。中世から近世にかけては、「諏方」の表記も多く用いられるようになり、天保5年(1834年)、諏訪高島藩において、「諏訪」と書く指令が出されるという動きもあった。近年に至り、全国的に地名・人名ともに「諏訪」が通常の表記となり、神社名などに残っていた「諏方」は使われなくなっていった。当社では、所蔵する元禄時代の軸に「諏方大明神」とあることから、「諏方神社」を社名としている。(現在、全国に数ある諏訪神社分社のうち、数社だけ「諏方」の表記が使われている)[3] 境内社
境内
荒川区文化財
交通アクセス脚注参考文献
外部リンク
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