設楽幸嗣
設楽 幸嗣(したら こうじ、1946年6月4日 - )は、日本の作曲家・編曲家、音楽プロデューサーであり、元俳優、元子役俳優である[1][2][3][4][5][6][7]。本名同じ[1][5]。 人物・来歴1946年(昭和21年)6月4日、山形県酒田市に生まれる[1][2][3][5]。父は設楽幸聖(日本正統運命学研究会会長)、母は一楽庵宗美(石州流茶道)、作曲家の武満徹は叔父にあたる[1][3]。 父の幸聖が松竹の洋画宣伝部に在籍していた1951年(昭和26年)、『夢と知りせば』に出演する子役を探していた同作の監督の中村登に見いだされ、木暮実千代演じる「阿久津絹代」の息子「光久」役で同作に出演、同作は1952年(昭和27年)1月3日に公開されて映画界にデビューした[1][4][5]。1953年(昭和28年)には東宝に貸し出され、千葉泰樹監督の『愛情について』、熊谷久虎監督の『白魚』、杉江敏男監督の『サラリーマンの歌』、および南旺映画製作、新東宝配給、斎藤達雄監督の『純情社員』にも出演した[1][4][5][6]。1959年(昭和34年)には学校法人玉川学園中学校に進学、高校も同学園に進学した[1]。 1965年(昭和40年)には国立音楽大学作曲科に入学、在学中もNHK総合テレビジョン『おはなはん』等に出演したが、1969年(昭和44年)3月、同学を卒業と同時に俳優業からは引退、音楽の道に進む[1]。1971年(昭和46年)、満25歳でアメリカ合衆国のロサンゼルスに留学、1975年(昭和50年)に帰国した[1]。1978年(昭和53年)8月29日・8月30日の両日、日本武道館で行われたアリスのライヴで、設楽が作詞・作曲した『10000人の讃歌 -FBC組曲"WE ARE NOT ALONE"より- "WE ARE TOGETHER"』が採用され、同ライヴを収録したアルバム『栄光への脱出〜武道館ライブ』の最後の曲として、同年10月5日にリリースされた。1980年代以降の一時期、劇場用映画やテレビ映画の劇伴音楽の作曲も手がけた[4][5]。 フィルモグラフィすべてクレジットは「出演」あるいは「音楽」である[4][5][6]。特筆以外すべて製作は「松竹大船撮影所」、配給は「松竹」である[4]。公開日の右側には役名、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[8][9]。
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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