角屋堅次郎
角屋 堅次郎(かどや けんじろう、1917年(大正6年)3月15日[1] - 2017年(平成29年)4月7日)は、日本の農林技官、労働運動家、政治家。衆議院議員(11期)。 年譜三重県度会郡豊浜村(現伊勢市豊浜)出身[2]。学歴は宇治山田中学(現三重県立宇治山田高等学校)を卒業。その後三重高等農林学校(現在の三重大学)農業土木学科を卒業し、さらに満洲大同学院を卒業した[3]。 満洲国開拓総局などに勤務[3]。従軍して陸軍中尉で終戦を迎えた[3]。その後、農林省に勤務して、農林技官、全農林中央執行委員長、日本社会党三重県本部委員長などを歴任する[2][3]。 1955年(昭和30年)2月の第27回衆議院議員総選挙で左派社会党から立候補するが落選。1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙では、左右両派が統一された日本社会党より旧三重2区から立候補して初当選した。以降、連続11回当選し、30年以上にわたり、衆議院議員を務めた。 日本社会党内では、国会対策副委員長、中央執行委員、選挙対策委員長、両院議員総会長などを務め、農林水産部会長、農林部長、水産政策委員長も務めた農水族議員である[2][3]。また、衆議院公害対策並びに環境保全特別委員長、同決算委員長などを務めて、永年勤続議員として衆議院から表彰をされた[2][3]。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退した。 2017年(平成29年)4月7日、老衰・腎不全のため死去[4][5]。100歳没。従三位に叙せられる[6] 栄典1989年(平成元年)11月 - 勲一等旭日大綬章受章[7]。 その他
脚注参考文献
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