西郷元正
西郷 元正(さいごう もとまさ)は、戦国時代の三河国の武将。 経歴三河八名郡嵩山月ヶ谷城主の西郷正勝の嫡男として生まれる[2]。西郷氏は同じ東三河国人の田峯菅沼氏・野田菅沼氏などとともに、今川氏から自立した松平元康に従い、今川方への備えとして月ヶ谷城の北北東約1.8kmの地に五本松城を築いた。父の正勝は五本松城に移ったため、月ヶ谷城は元正が守備した[注釈 2][2]。 永禄4年(1561年)[注釈 3]三河国境に近い遠江宇津山城の今川方の将・朝比奈泰長が西郷領に侵入し、五本松城を急襲した。この時、元正は家臣10余人を連れて五本松城を訪ねて月ヶ谷城に帰る路次だったが、稗林峠の夫婦石(女夫石)の辺りで合戦に気付いて五本松城へ引き返した。元正は正勝らとともに勇戦したものの、父子ともに討死した[7][8]。西郷領はやがて松平氏の援軍を得た弟・清員が奪還し、清員の斡旋で元正の遺児・義勝が西郷氏の家督を継承した[3][9]。 脚注注釈出典参考文献
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