西郷信尚
西郷 信尚(さいごう のぶなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。小野城主。 略歴天正5年(1577年)、6月下旬、父純堯は龍造寺隆信の伊佐早侵攻に際し、降伏を許され、純尚は隆信から偏諱を受け信尚と改めた。そのしばらく後に純堯が死去したため、信尚が西郷氏の家督を継いだ。 同15年(1587年)、豊臣秀吉の九州平定に参陣しなかったため、秀吉から領地を没収される。信尚に変わって龍造寺家晴が伊佐早を治めることとなったが、同年に発生した肥後国人一揆を鎮圧するため、家晴が出陣した隙に信尚が挙兵、伊佐早城を奪回した[2]。秀吉は直ちに鎮圧すべく、小早川隆景の指揮の下、家晴や鍋島氏、肥前有馬氏らに討伐を命じた。信尚方は陣の辻で龍造寺方に戦いを挑むも敗北する。この戦いで信尚は家晴に討たれたとも、妻の実家がある平戸へ逃れたともいわれている。 西郷信尚が登場する作品脚注
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