西眞一
西 眞一(にし しんいち、1973年2月17日 - )は、鹿児島県姶良町(現:姶良市)出身[1]の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。愛称はキング。 経歴1990年、鹿児島市立鹿児島玉龍高校3年次に国民体育大会に鹿児島県選抜チームの一員として参加し、3位入賞[2]。高校卒業後は鹿児島経済大学(現在の鹿児島国際大学)経済学部経済学科に進学。九州大学サッカーリーグ2部でプレーし、3年次にはチームを1部昇格に導いたほか、九州大学選抜にも選ばれた[2]。 大学卒業後は1995年より姶良町役場に務めながら[3]、九州サッカーリーグ所属の鹿児島サッカー教員団(後にヴォルカ鹿児島に改称)に参加してアマチュア選手として活動した。 西は入団初年度からチームの中心として、初年度はリーグ新人王に、翌1996年からは7シーズン連続で得点王を獲得した。在籍した13シーズンで266得点を挙げ、得点王を9度獲得した。266得点は呂比須ワグナーが挙げた206得点を越える記録である[3]。また、第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会 (2001年) のモンテディオ山形戦でJリーグクラブを相手に得点を決めた。 2007年シーズンを最後に現役を引退して、2008年3月16日に引退試合を行った。西自身はこの試合で6得点を記録した[3]。 現役引退後は姶良市役所で勤務する傍ら、鹿児島県社会人サッカーリーグに所属する『鹿児島教員足球隊』でプレー[4]。 2019年に創設された鹿児島ユナイテッドFCの知的障がい者チームである「鹿児島ユナイテッドFCフューチャーズ」の総監督に就任[5]。2019年11月7日、「INASサッカー世界選手権2022」に出場する知的障がい者サッカー日本代表の監督に就任すると発表された[1]。 個人成績
個人タイトル出場大会
脚注
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