西洞院時慶
西洞院 時慶(にしのとういん ときよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公家・歌人・医者。権大納言・飛鳥井雅綱の孫。安居院僧正・覚澄の子。官位は従二位・参議。西洞院家26代当主。号は松庵。 経歴河鰭季富の養子となり、河鰭公虎(かわばた きんとら)と名乗る。その後、叔父の飛鳥井雅春の養子となったのち、西洞院時当(ときまさ)の養子となり、天正3年(1575年)に西洞院家の家督を相続する。孝蔵主を通じて高台院と親交があった。 六条有広と共に日本初の活版印刷である慶長勅版に携わる。慶長年間に後陽成天皇の勅許を得て、荒廃していた平野神社を再建した。寛永元年(1624年)8月26日に出家、法名「円空」。 寛永3年(1626年)7月24日、徳川秀忠・家光に従い上洛した伊達政宗が催した香席に、近衛信尋・一条兼遐兄弟らと共に、子の平松時庸と招かれており、その「饗応香会の記」が日本に現存する最古の香記録として残る(個人蔵)。 彼の日記は『時慶記』として残り、宮中を始めとして武家や芸能まで幅広い交際をうかがわせる。 系譜 |