西広整輝西広 整輝(にしひろ せいき、1930年(昭和5年)6月24日 - 1995年(平成7年)12月4日)は、日本の元防衛官僚。防衛事務次官、防衛庁防衛局長、山口県警察本部長、平和・安全保障研究所理事長を歴任。愛称は「ミスター防衛庁」。 来歴・人物父は内務官僚で官選宮崎県知事(1943年(昭和18年)7月1日~1944年(昭和19年)8月1日)や朝鮮総督府警務局長を歴任した西広忠雄。都城中学、新制大手前高校を経て、1956年東京大学文学部国史学科卒業。同年、防衛庁入庁。(プロパー組2期生)。 「ミスター防衛庁」と呼称され、生え抜き組(プロパー組)初の事務次官就任者。退官後も防衛庁生え抜き組の東大出身者のみを構成員とした「西広学校」が知られている。大蔵・警察・通産・厚生など各省庁出向者らが枢要ポストを握っていた防衛庁内で、生え抜き組の人材育成に務めた。1976年防衛課長として「防衛計画の大綱」の原案を作成。基盤的防衛力構想の命名者でもある。 評価彼個人の自衛隊に関する評価は決して高いものではなく、元一等陸佐の西村繁樹は自著で「自衛隊は大した力じゃない。だいたい、日本みたいな細長い国は戦ったら守りきれない。相手はどこでも狙えるからね。では、自衛隊の存在意義は何かと言うと、自分で守るんだという決意と意欲を、敵に対しても同盟国に対しても示すためです。とにかくアメリカの戦略核を中心とする抑止力に意味があるのであって、自衛隊が具体的にどう戦うかなんて言うのは考えても仕方がないですよ。」という西広の発言を取り上げ、「防衛庁事務方の最高責任者として手をついて謝ってもらいたいところだ。」と強く批判している[1]。 略歴
脚注
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