袁峻袁 峻(えん しゅん、生没年不詳)は、南朝梁の官僚・文人。字は孝高。本貫は陳郡陽夏県。後漢末の郎中令の袁渙の七世の孫にあたる。 経歴袁淑(袁豹の子)の子として生まれた。早くに父を失い、志に篤く学問を好んだ。家が貧しく書物がなかったため、人に借りては書き写し、日に紙50枚を自らに課し、紙数に達しないと、休息もしなかった。喋り言葉は下手であったが、文章を書くのは巧みだった。 中興元年(501年)、蕭衍が建康を占領すると、その弟の蕭恢が東方の破岡に駐屯し、袁峻は蕭恢に従って書記の事務を管掌した。天監元年(502年)、蕭恢が鄱陽王となると、袁峻は鄱陽国侍郎となり、京口に駐屯した。天監4年(505年)、蕭恢が郢州刺史に転じると、袁峻は都曹参軍を兼ねた。 天監6年(507年)、揚雄の官箴に倣った辞賦を献上し、武帝(蕭衍)の賞賛を受けた。員外散騎侍郎に任じられ、文徳殿の学士省に宿直した。『史記』や『漢書』を抜き書きして、おのおの20巻にまとめた。陸倕とともに新たな宮城の門に刻む銘文を作った。 伝記資料 |