行徳守治
行徳 守治(ぎょうとく もりはる、1886年(明治19年)10月17日[1] - 1946年(昭和21年)12月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴1886年(明治19年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期卒業[1]。1933年(昭和8年)に独立守備歩兵第12大隊長に就任し[2]、1936年(昭和11年)8月に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。同年12月に本郷連隊区司令官に転じ[2]、1938年(昭和13年)に関東軍兵事部長に就任した[1]。 1939年(昭和14年)に陸軍少将に進級[2]。1943年(昭和18年)6月10日に陸軍中将に進級し[2]、待命[3]。6月11日に予備役に編入されるが即日招集され、関東軍兵事部長に補された[4]。1944年(昭和19年)12月26日に招集解除となる[2]。 栄典
脚注
参考文献
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