蜂須賀重隆
蜂須賀 重隆(はちすか しげたか)は、江戸時代中期の阿波国徳島藩の世嗣。通称は帯刀。官位は従四位下・内匠頭。 生涯阿波富田藩世嗣だった蜂須賀隆寿(5代藩主蜂須賀綱矩の三男)の次男として誕生した。母は吉成氏。幼名は和十郎、初名は隆興(たかおき)。 従兄で世嗣だった重矩が寛延4年(1751年)に早世したため、代わって8代藩主・蜂須賀宗鎮の養子に迎えられ嫡子となる。 宝暦2年(1752年)に将軍徳川家重に拝謁し叙任、偏諱を受けて重隆と改名するが、翌宝暦3年(1753年)に廃嫡された。代わって、宗鎮の生家である高松藩一門重臣松平大膳家から、宗鎮に代わって当主を継いでいた実弟の松平頼央(蜂須賀至央)が嫡子に迎えられた。 系譜参考文献
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