蘆原英了蘆原 英了(あしはら えいりょう、1907年1月9日 - 1981年3月2日[1])は、日本の音楽・舞踊評論家。本名は敏信[2]。 昭和20年代から40年代にかけて、バレエ評論家の第一人者として活躍した[3]。藤田嗣治の甥。 来歴滋賀県大津市で軍医の四男として生れ、1931年慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業[3]。1932年、フランスに留学し、バレエ、シャンソン、演劇を学ぶ。 帰国後、中央公論社に入社。戦後は雑誌「婦人公論」の編集長となる。また、バレエ、シャンソン、演劇の評論家となる[3]。1957年、大宅壮一が創設した「ノンフィクションクラブ」に参加する[4]。 1957年『巴里のシャンソン』で毎日出版文化賞受賞。1962年にフランス政府から芸術文化勲章をうける。1974年紫綬褒章をうけた[1]。 1946年に東京バレエ団(現在活動している東京バレエ団とは直接のつながりはない。)の支援者として、「白鳥の湖」の舞台装置を親戚の藤田嗣治に依頼するなど、大きな役割を果たした[3]。 昭和40年代、NHKラジオ第一で、毎週日曜日午後3時~4時「午後のシャンソン」という番組のMCと解説を担当。渋くて味のある語り口が特徴の、かくれた人気番組で、今なおファンが多い。 死後、洋書約5400冊、楽譜約5200点、レコード約9300枚をはじめとした蒐集資料は、蘆原英了コレクションとして国会図書館に収められた[5]。 著書
家族・親族父親の蘆原信之は陸軍一等軍医。建築家の蘆原義信は弟[3]。同じく建築家の蘆原太郎は甥(義信の長男)。母方の叔父が画家の藤田嗣治[3]。同じく母方の叔父で嗣治の兄・嗣雄は陸軍軍人・児玉源太郎の四女と結婚している。劇作家の小山内薫は母の従弟[3]、小説家の岡田八千代は母の従妹。妻の多摩子は中村謙一の二女。 なお小山内薫の係累からは岡田三郎助や立松和平、山中聡や山中崇史らと、児玉源太郎の係累からは木戸幸一や都留重人、広沢真臣や池田勇人や田中角栄らと縁続きになり、さらには鳩山一郎・石橋正二郎・宮澤喜一・小川平吉・鈴木善幸・杉本甫・岩崎弥太郎・太田清蔵・鎮西清高・松山棟庵・中曽根康弘・昭和天皇らも蘆原と縁戚関係になる。 脚注
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