藤間瑠依
藤間 瑠依(ふじま るい、1982年5月31日 - )は、日本の女優で、元お菓子系アイドル[2]。日本舞踊藤間流勘右衛門派門弟[3]。ロックライアード所属。 概説新内節・日本舞踊名取、日本和装協会着付け一級[4]。殺陣や三味線、唄を特技とするなど日本の伝統芸能に精通しており、テレビではこれを生かしてNHKなどの時代劇に出演する。 代々クリスチャンの家系[5]。母方の祖先は播磨赤松氏(村上源氏)支族の小南氏で、墓所はキリシタンゆかりの徳島県瑞巌寺(臨済宗妙心寺派)[6]。天正6年(1578年)の三木合戦後に蜂須賀正勝の客分となり、以後徳島藩主蜂須賀氏の奉行として仕えた[7]。このことは、祖母が赤松氏研究の史料として知られる「小南文書」の原本を保存しており、これを瑠依本人が東京大学史料編纂所に持ち込んだことで詳細が判明したという[8]。 幼少時からの持病として気管支喘息を抱える[9]。高校時代は水泳部の幽霊部員として活躍[10]。酒好き[11]・アニメ好き[12]というニクめない側面もある。 経歴年譜
グラビア時代1990年代末に山本 瑠衣(やまもと るい)名義でグラビアデビューし、『クリーム』をはじめとするお菓子系雑誌のグラビアで活動。お菓子系ならではの子供っぽい笑顔とふっくらとした体型で人気を集めた。他のモデルとは『スクール水着写真集』等において北島優(当時は春田萌)とペアを組んでいるほか、「約500人のオーディション」を通過したという触れ込みで大森亜由子・内藤真奈美・吉美香とともにDay-Girlsというユニットでも売り出され[13][14]、写真集『Day-Girls』・イメージビデオ『Four-Girls』が発売されている。 2001年末には森田 瑠衣(もりた るい)に名義を変え、ヌードモデルに転向。ソロとしては初の写真集『lip〜想い出の唇』・イメージビデオ『乙女のしずく』が同年12月14日発売予定と発表された。そのプロモーション用に成人誌に掲載された初めてのヘアヌードグラビアは鮮烈な裸体が話題となったが、写真集・ビデオの発売は直前に急遽中止。一般への公式告知は事前・事後含め行われず、結局正確な理由は明かされないままとなった。 この件についてインターネットコミュニティでは「撮影現場で本人が関係者に丸め込まれて脱いだものの雑誌掲載で親バレし、親族と事務所・出版社の間でトラブルになったのではないか」との憶測も流れたが、のちの復帰後も名義や生年月日といったプロフィールをグラビア時代からほとんど変更せずに継承している[4]など過去の仕事歴を隠すそぶりがないことから、この主張には根拠が薄い。 女優時代ヌード騒動後は半引退状態が続いていたが、しばらくのちに瑠依名義で復帰。2004年には人気時代劇『水戸黄門』[15]でテレビドラマデビューを果たした。その後は『次郎長背負い富士』『功名が辻』とNHK時代劇に連続出演[16]。2007年には映画『巷説百物語』(堤幸彦監督)、Webシネマ『1x1 Photo Book』へ出演[17]している。 2008年7月、従来所属していたオーファクトリーエンターテイメントからロックライアードに芸能事務所を移籍。2009年10月にはアール・エフ・ラジオ日本で冠番組『藤間瑠依の幸せの扉』の放送を開始するとともに、シングルCD『幸せの扉』をリリース、ライブハウスでのイベント参加も行うなど、ここへきて一気に活動を本格化している。 出演映画Webシネマ以下の作品は藤間瑠依名義でクレジットされている。
テレビドラマ以下の作品は瑠依名義でクレジットされている。
ラジオ番組
音楽CD以下の作品は藤間瑠依名義でリリースしている。
写真集・イメージビデオ発売されたものは全て山本瑠衣名義。このうち『Day-Girls』『Four-Girls』は大森亜由子・内藤真奈美・吉美香とのオムニバス。
グラビア誌以下の雑誌はいずれも山本瑠衣名義で掲載されている。
また、以下の雑誌には森田瑠衣名義で掲載されている。 脚注
外部リンク
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