藤本洋
藤本 洋(ふじもと ひろみ、1932年 - )は、日本のソングライター、うたごえ運動活動家。Musical Guild q.主宰[1]。声楽を関鑑子、音楽理論と指揮を井上頼豊に師事。日本のうたごえ全国協議会初代幹事長(1974年~1980年)。 略歴1945年、東京都内で中学校1年生の時、敗戦を迎える。中学校の社会科教師にマルクス主義の手ほどきを受け、とりわけ古典文献の芸術論に感化される。1947年2月、日本共産党の高円寺細胞に入党を申し込むが、年齢が18歳に満たないため、いったんは無資格として断られる。しかし本人の熱心な希望により、同党東京西部地区委員会と高円寺細胞の推薦人の取り計らいもあって、例外的に14歳で入党を許可される。入党と同時に、日本青年共産同盟に加盟。1948年1月より、日本青年共産同盟「中央コーラス隊」(中央合唱団の前身)の練習会に出席。関鑑子と出会う。1948年2月10日、日本青年共産同盟創立2周年記念集会で、中央合唱団の初演奏に参加した。同年、「革命的音楽家」として生きることを決意し、中央合唱団の専従者となる[2]。 おもな作品作曲
作詞
著述単行本
日本共産党中央委員会理論政治誌「前衛」掲載記事
脚注出典
関連項目外部リンク
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