藤堂高文
藤堂 高文(とうどう たかふみ)は、伊勢国津藩一門藤堂出雲家第6代。津藩第7代藩主藤堂高朗の実弟。久居藩第11代藩主高矗の祖父。漢学者。儒学者。 家系藤堂出雲家は、藤堂高虎の異母弟高清に始まる。宗家の津藩主5代藤堂高敏で高虎の血統が絶え、高文の叔父高治が養子として6代藩主となって以降は藩主が出雲家の血を引くこととなる。 文武に秀でた人物を多く輩出している。藤堂高英陸軍中将は子孫。 略歴享保5年(1720年)、津藩騎将(番頭)で藩主一門藤堂出雲家4代高武の四男として生まれる。 享保13年(1728年)、出雲家5代の兄高豊(高朗)が久居藩藩主となったため、8歳で家督と知行7000石を継ぎ騎将となる。享保20年(1735年)9月、兄高豊が津藩主となり仕える。 宝暦元年(1751年)11月、32歳で「故あって」家督を弟高周(たかかぬ)に譲り隠居し、隠居所で著述活動に専念する。 天明4年(1784年)6月13日死去。享年65。 人物幼い頃から学問を好み、儒学者奥田三角(奥田士亨)の高弟となる。武術にも熱心で、特に柔道が得意。 藤堂家の藩史「宗国史」を編纂。尾張藩主の委嘱で、藤堂家の大坂夏の陣の戦記「元和先鋒録」を執筆した。 長男高璞の長男高矗は久居藩主を継いだ。 参考文献
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