藤原邦基
藤原 邦基(ふじわら の くにもと)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原北家、左大臣・藤原良世の五男。官位は従三位・中納言。 経歴寛平5年(893年)文章生に補せられ、宇多朝では弾正少忠・兵部少丞を務める。 醍醐天皇が即位した翌年の昌泰元年(898年)弟の恒佐に2年遅れて従五位下に叙爵。醍醐朝前半は能登権守・因幡守・武蔵守等主に地方官を歴任し、延喜7年(907年)正月に従五位上に叙される。延喜12年(912年)左少弁に任ぜられると、延喜13年(913年)右中弁、延喜14年(914年)正五位下、延喜16年(916年)左中弁、延喜17年(917年)従四位下と、醍醐朝中期からは一転して弁官を歴任しながら順調に昇進を果たした。延喜21年(921年)参議に任じられ、恒佐に6年遅れて公卿に列す。議政官として左右大弁や皇太子・寛明親王(後の朱雀天皇)の春宮大夫等を兼帯している。 延長8年(930年)朱雀天皇の即位に伴って、前春宮大夫の功労により従三位・中納言に叙任され、ついに弟・恒佐に官位面で肩を並べた。しかし、承平2年(932年)正月に恒佐は正三位に叙せられて再び位階で差をつけられると、邦基は同年3月8日薨去。享年58。最終官位は中納言従三位。 官歴『公卿補任』による。
系譜『尊卑分脈』による。 脚注出典
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