藤原経臣藤原 経臣(ふじわら の つねおみ、昌泰3年(900年) - 没年不詳)は、平安時代中期の貴族・儒学者。藤原北家魚名流。大学頭・藤原佐高の子。官位は正五位下・肥前守。 経歴朱雀朝初頭に文章得業生の傍ら、承平2年(932年)2月に成明親王(のち村上天皇)の読書始の尚復を務める[1]。同年7月に方略試宣旨を受け(問答博士は式部丞・菅原在躬)、試験に及第して蔵人式部少丞に任官した。承平5年(935年)に行われた菊の宴には序を献じている[2]。 その後、巡爵により従五位下・能登守に叙任されると、丹後守(または丹波守)・肥前守と朱雀朝中期から村上朝前期にかけて地方官を歴任。この間、天慶5年(942年)能登守の功課により従五位上に叙せられ、正五位下まで昇進している。 官歴
系譜『尊卑分脈』による。 脚注参考文献 |