藤原国章

 
藤原国章
時代 平安時代中期
生誕 延喜19年(919年)または延喜11年(911年
死没 寛和元年6月23日985年7月13日
官位 従三位皇后宮権大夫
主君 朱雀天皇村上天皇冷泉天皇円融天皇花山天皇
氏族 藤原北家長良
父母 父:藤原元名、母:藤原扶幹の娘
兄弟 君章、文範、条章、国章、知章、淑子
伊予守能正の娘
景舒景斉源惟正室、対御方
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藤原 国章(ふじわら の くにのり)は、平安時代中期の公卿藤原北家長良流、参議藤原元名の四男。官位従三位皇后宮権大夫

経歴

朱雀朝末の天慶8年(945年文章生となる。

円融朝では近江守太宰大弐などの地方官や、春宮師貞親王春宮権亮を務めた。大弐在職中の貞元2年(977年)には前年に発生した大地震で倒壊した八省院廊[1]を再建した功労で従三位に叙せられ公卿に列す。円融朝末の天元5年(982年皇太后宮権大夫に任ぜられ、皇太后昌子内親王に仕えた。

花山朝寛和元年(985年)6月23日薨去。享年は67または75[2]。最終官位は従三位皇太后宮権大夫。

官歴

注記のないものは『公卿補任』による。

系譜

尊卑分脈』による。

娘は天禄2年(971年)頃に摂政藤原兼家の妾となって、藤原綏子(のち三条天皇尚侍)を儲け、後に東三条殿に招かれ対御方と呼ばれた。後に兼家の長男・道隆の妾となり、藤原妍子女房となる娘を産んでいる。

脚注

  1. ^ 『日本紀略』貞元元年6月18日条
  2. ^ 『日本紀略』
  3. ^ a b 『親信卿記』
  4. ^ 『平安遺文』375
  5. ^ 『類聚符宣抄』第8
  6. ^ 『小右記』

出典