菅原卓菅原 卓(すがわら たかし、1903年1月15日 - 1970年5月3日)は、日本の実業家で劇作家、演出家でもある。菅原電気商会元社長。 第二次世界大戦後、アメリカ演劇を日本に紹介したことで知られる。 弟は劇作家の内村直也。 人物東京生まれ。1925年、慶應義塾大学経済学部卒[1]。 コロンビア大学で演劇を学ぶ。 岸田國士に師事し、1932年雑誌『劇作』を創刊。 左翼演劇に反対して演劇の芸術性を擁護し、劇作派と呼ばれる。 1934年戯曲「北へ帰る」を発表。 1939年、菅原電気商会社長となる。 戦後、1949年、ピカデリー実験劇場運営委員長に就任し、戦後の演劇復興に尽力し、1950年水谷八重子(初代)とともに現代劇運動を起こす。 1954年アーサー・ミラー『セールスマンの死』の翻訳と演出をして、これを機に劇団民芸に所属する。 『アンネの日記』の訳、演出も行った。 1970年5月3日、胸部大動脈りゅうのため東京厚生年金病院にて死去。告別式は同年5月8日、青山葬儀所で行われた[2]。 著書
翻訳
脚注
参考文献
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