荻野六郎荻野 六郎(おぎの ろくろう、1867年4月1日(慶応3年2月27日[1])- 1923年(大正12年)2月6日[1][2])は、明治時代の実業家、政治家。衆議院議員。 経歴武蔵国榛沢郡横瀬村(のち埼玉県大里郡豊里村、現深谷市)で、名主・荻野竹五郎の長男として生まれる[1]。1887年、埼玉県師範学校を卒業した[1][2]。 1896年、大里郡会議員補欠選挙で当選し、同参事会員も務めた[1][2]。1897年、進歩党所属で埼玉県会議員に当選した[1]。1894年9月、第4回衆議院議員総選挙で埼玉県第五区から選出された原善三郎が、1897年 9月29日、貴族院多額納税者議員に就任したため[3]、その補欠選挙に出馬して当選し[4]、衆議院議員を一期務めた[1][2]。 その他、下谷商業銀行頭取、深谷銀行専務取締役、吾妻馬車鉄道株式会社社長、赤坂湖泉株式会社取締役、深川電灯株式会社社長、大日本生命保険株式会社取締役、中央商業銀行監査役、日本商業興信所評議員などを務めた[5]。 栄典脚注参考文献
関連項目 |