草場猪之吉

くさば いのきち

草場 猪之吉
JR唐津駅前広場 鉄道功労者顕彰碑より
生誕 (1866-08-08) 1866年8月8日[1]
日本の旗 日本肥前国唐津(現・佐賀県唐津市魚屋町)
死没 (1930-04-14) 1930年4月14日(63歳没)[2]
日本の旗 日本・東京府東京市
墓地 長得寺
記念碑 JR唐津駅前広場 鉄道功労者顕彰碑(唐津曳山像)
国籍 日本の旗 日本
職業 起業家実業家
時代 江戸時代後期-昭和時代前期
著名な実績 唐津貯蓄銀行、唐津鉄道、北九州鉄道の創設
活動拠点 佐賀県東松浦郡唐津町(現・佐賀県唐津市)
肩書き 唐津貯蓄銀行(株)頭取、北九州鐵道(株)社長、唐津銀行、唐津築港、唐津製鋼所唐津窯業各(株)取締役、唐津魚(株)監査役[3]
子供 愼一[1]
六一[3]
藤江[1]
菊江[1]
芳江[3]
萩枝[3]
若枝[3]
草場 三右衞門[1][3]
家族 ヨシノ(愼一妻)[3]
テンプレートを表示

草場 猪之吉(くさば いのきち、1866年慶應ニ年)8月8日 - 1930年(昭和5年)4月14日)は、慶應明治大正昭和時代の佐賀県唐津市起業家実業家

唐津貯蓄銀行、唐津鉄道[4][5]唐津興業鉄道)の発起人、北九州鉄道(現・九州旅客鉄道筑肥線)の初代社長[6][7]。として知られる。

生涯

年譜

鉄道功労者顕彰碑

鉄道功労者顕彰碑

JR唐津駅北口にある駅前広場に草場猪之吉を始めとする4名の功労者を讃えた碑が設置されている。

 唐津市民が永年待ち望んできた唐津市内鉄道路線の近代化が ここに完成した 即ち 国鉄唐津線の 高架化 国鉄筑肥線の電化 並びに福岡市地下鉄との相互直通運転 筑肥線と唐津線の短絡国鉄 呼子線の建設(部分開通)が実現したのである
 顧みれば現在の唐津線は明治二十七年頃から草場猪之吉氏 大島小太郎氏 平松兵衛氏等によって 鉄道敷設が提唱され 明治二十九年に唐津興業鉄道株式会社によって 鉄道建設が起工され 唐津鉄道株式会社 九州鉄道会社によって明治三十六年に完成した 現在の筑肥線は 大正八年 草場猪之吉氏 岸川善太郎氏等の発起により 北九州軽便鉄道株式会社が設立され大正十年に北九州鉄道株式会社の手によって 鉄道建設が起工された 大正十四年に東唐津 博多間が開通し 昭和四年に 東唐津 山本間が開通 昭和十年に山本 伊万里間が開通し 着工以来十三年余にして 全線が開通した そして 唐津線は明治四十年に 筑肥線は昭和十二年に それぞれ日本国有鉄道が経営するところとなった
 諸先輩の英知とたゆまざる努力によって建設されたこの鉄道は 今日の大唐津市発展の大きな原動力となつてたところである このような諸先輩の偉大な功績を礎として 今日の唐津市内鉄道路線の 近代化を推進する事が出来たのであり 総力を結集した成果がここに結実し 万成胸に迫るものがある
 今ここに 郷土を愛し 鉄道建設に心血を注がれた草場猪之吉氏をはじめ 多くの先輩に感謝の誠を捧げるものである
 昭和五十八年三月二十二日 唐津市長 瀬戸 尚

旧松浦橋(木脚木橋)の架橋

旧松浦橋遺構

明治29年、奥村五百子・草場猪之吉らの尽力によって、それまで渡し舟しか交通手段のなかった満島村と旧唐津町との間に全長約500mに及ぶ木脚木橋の橋が架けられた。岸岳官有林の払い下げ材を用いたこの木橋は当時西日本最長のものであったとされている[8]。明治34年に馬車鉄道が通ったが同42年に突如として崩壊し、同45年に煉瓦脚の県道として再建された。その後昭和23年水害によって流失するまでの約半世紀に亘って地域住民に利用された[9]。現在は木脚の根本が僅かに往時の痕跡を残すのみであり、干潮時にのみその姿を臨むことができる。

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d e 『人事興信録』データベース (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報) https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-8009
  2. ^ 唐津の草場一族 宗益草場家系図譜https://tamatori.sakura.ne.jp/news/kusabakensetu.html
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録』データベース (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報) https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-8009
  4. ^ 明治30年代における北浜銀行の融資基盤と西成・唐津鉄道への大口融資https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000002850160-00/
  5. ^ 明治期の唐津における観光振興と印刷メディア https://doi.org/10.11247/jssd.65.0_296
  6. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』『日本全国諸会社役員録. 第28回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「私鉄探求・北九州鉄道」『レイル』No.5、10頁
  8. ^ 「去華就実」と郷土の先覚者たち 第13回 奥村五百子 (上)https://www.miyajima-soy.co.jp/archives/column/kyoka13
  9. ^ 現地解説板「松浦川河口部の歴史」https://commons.wikimedia.org/wiki/File:PXL_202301251746_%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%B2%B3%E7%95%94%E7%B7%91%E5%9C%B0%E6%A1%88%E5%86%85%E6%9D%BF.jpg

関連項目

外部リンク