荀諶荀 諶(じゅん しん、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の政治家。豫州潁川郡潁陰県(現在の河南省許昌市)の人。字は友若。曹操に軍師として仕えた荀彧の兄弟(『三国志』魏書荀彧伝本文では弟、同伝注に引く『荀氏家伝』では4番目の兄とされている)、荀衍の弟。荀緄の子、荀閎(じゅんこう、長男)の父。荀輝(じゅんき、荀閎の従孫(=兄弟の孫))の曽祖父。 正史の事跡
袁紹配下。初平2年(191年)、袁紹の命により、張導・高幹・郭図と共に使者として冀州牧韓馥の下に赴く。荀諶は巧みな弁舌を振るって韓馥を説得し、冀州を袁紹に譲らせた。建安4年(199年)には、田豊・許攸と共に袁紹の参謀に任命される。 しかし、袁紹陣営でこれほどの重要人物でありながら、以降は史書に一切登場しない。陳羣が汝南・潁川の人物について孔融と論評した際の「荀彧・荀攸・荀衍・荀諶・荀悦は、現代まったく匹敵する者がいない」という発言が残るのみである。ただ、子の荀閎は魏に仕官していることから、最後まで曹操と対立する道はとらなかったと思われる。 物語中の荀諶小説『三国志演義』では、荀彧との関係が語られることはなく、はじめは韓馥に仕えたことになっているが、史実では彼が韓馥に仕えていた事実はない。建安4年、対曹操の戦略について、持久戦略派と短期決戦戦略派との議論が起きた際には、辛評と共に後者を支持し、袁紹の決断を促している。しかし『演義』でも、荀諶はこの後登場しない。 参考文献 |