英子女王(ひでこじょおう、1808年7月12日(文化5年6月19日) - 1857年5月19日(安政4年4月26日))は、江戸時代後期の女性。清水徳川家4当主・徳川斉明の正室。幼称は教宮(みちのみや)。院号は恭真院。
生涯
伏見宮貞敬親王の第4王女として生まれる。文化14年(1817年)9月27日、9歳のときに清水徳川家4代当主・徳川斉明と婚約する[1]。
文政4年(1821年)9月19日、清水館に入る。文政6年(1823年)2月13日に婚姻した。文政10年(1827年)6月10日、斉明の死去に伴い、落飾し、恭真院と号する[2]。
安政4年(1857年)4月26日、死去。享年50[3]。
脚注