英国欧州航空

英国欧州航空
British European Airways
 
IATA
BE
ICAO
BEA
コールサイン
Bealine
設立 1946年8月1日
ハブ空港 ロンドン・ヒースロー空港
本拠地 イギリスの旗 イギリス ヒリンドン・ロンドン特別区 BEAline house in Ruislip[1]
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英国欧州航空(えいこくおうしゅうこうくう、英語: British European Airways 略称:BEA)は、1946年から1974年まで運航していたイギリス航空会社。イギリスの国内線と欧州域内の中・短距離国際線を担当していた。1974年に長距離国際線を担当していた英国海外航空(BOAC)と合併し、ブリティッシュ・エアウェイズとなった。

歴史

設立

DC-3(1951年)

第二次世界大戦後間もなくの1946年1月、BOACはロンドンからアムステルダムブリュッセルパリへの路線の運航を再開していたが、戦時中運航していた国内の複数の航空会社を自社の欧州部門へ統合し、8月1日にBEAを設立した。当初はロンドンの西にあるイギリス空軍ノーソルト空軍基地からDC-3デ・ハビランド DH.89 ドラゴン・ラピード、ドイツ製のユンカース Ju52等の戦時中の機材を寄せ集めて運航していた。

イギリス製旅客機のオペレーターとして

エアスピード アンバサダー
ヴィッカース・バイカウントとホーカー・シドレートライデント
ヴィッカース・ヴァンガード
BEAエアツアーズのコメット
ホーカー・シドレー トライデント

戦後の復興とイギリスの航空機産業の発展と共に、BEAは英国製の最新鋭旅客機を次々に投入するようになり、BEAの歴史はイギリスの旅客機開発の歴史そのものとも言えるものとなった。

まずヴィッカース・ヴァイキングエアスピード アンバサダーといったレシプロエンジンプロペラ機を投入、1953年には初のターボプロップ旅客機となるヴィッカース・バイカウントが投入された。1960年にはヴィッカース・ヴァンガード、さらには初のジェット機デ・ハビランド コメットをロンドン - モスクワ線に導入した。

1960年代後半にはホーカー・シドレー トライデントBAC 1-11を導入したがこれらの機材はBEA以外の航空会社にはほとんど売れず[2]、イギリスの航空機産業がボーイングダグラス・エアクラフトといったアメリカの航空機メーカーに太刀打ちできなくなっていった状況を表していた。

BOACとの合併

BEAデモンストレーション仕様のロッキード L-1011 トライスター(1972年9月 西ベルリンテンペルホーフ空港)、実際はイースタン航空に納入された機材(機体記号:N305EA)であり、塗装もイースタン航空のものがベースになっている)

BEAはカンブリアン航空などに資本参加してフィーダー路線を強化し、またチャーター便会社BEA エアツアーズを設立するなど業容を拡大していたが、1971年にイギリス政府はBOACとBEAの合併を決定した。1972年にはBEAはイースタン航空トランス・ワールド航空等と共にロッキード L-1011 トライスターローンチカスタマーの1社となったがBEAカラーのトライスターはファーンボロー国際航空ショーに展示されたのみで、実際はブリティッシュ・エアウェイズのカラーリングで納入された。1972年9月1日にBOACと合併した後もBEAはブリティッシュ・エアウェイズのディヴィジョンとして存続したが1974年4月1日にブリティッシュ・エアウェイズに一体化された。

復刻塗装

BEAの塗装が塗られたブリティッシュ・エアウェイズのA319(G-EUPJ)

ブリティッシュ・エアウェイズは2019年に、国際線運航100周年を記念し複数の機体に特別塗装を実施。エアバスA319のうち1機(G-EUPJ)がBEAの塗装になった[3]

運行していた主な機材

主な事故

ブリティッシュ・エアウェイズの前身会社

脚注

  1. ^ "World Airline Directory." Flight International. 1967年9月 529
  2. ^ そもそもトライデントが商業的に失敗した理由の一つはメーカー側が当初案をBEAに提示した際、BEA側が「大きすぎる」と難色を示し、メーカー側が妥協して当初案よりも小型の機体にしたからだった。結果、これが新規市場開拓の際に大きな足枷となり、メーカーの営業力不足なども相まって117機で生産が終了してしまった。トライデントの当初案に近いスペックを有するボーイング727が、1700機以上も販売されたベストセラー機となったことを踏まえると、これは大きな皮肉といえる。
  3. ^ BEA復刻塗装のA319就航 ブリティッシュエア、20年退役まで”. Aviation Wire. 2019年9月6日閲覧。

参考文献

  • 賀集章『消えたエアライン』(2003年 山海堂)