興津正忠
興津 正忠(おきつ まさただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏、徳川氏の家臣。 略歴興津氏は駿河国庵原郡興津を姓の地とする国人。戦国期には今川氏に仕えた。 享禄元年(1528年)、興津正道の子として誕生。今川義元に仕えたが、義元没後は徳川家康に仕え、天正7年(1579年)に徳川秀忠が誕生した際にその配下となった。 天正19年(1591年)相模国高座郡に300石を領した。家督は子・忠能が継ぎ、加増されて以後は旗本として続いた。 出典
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興津正忠
興津 正忠(おきつ まさただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏、徳川氏の家臣。 略歴興津氏は駿河国庵原郡興津を姓の地とする国人。戦国期には今川氏に仕えた。 享禄元年(1528年)、興津正道の子として誕生。今川義元に仕えたが、義元没後は徳川家康に仕え、天正7年(1579年)に徳川秀忠が誕生した際にその配下となった。 天正19年(1591年)相模国高座郡に300石を領した。家督は子・忠能が継ぎ、加増されて以後は旗本として続いた。 出典
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