聞承烈
聞 承烈(ぶん しょうれつ、1889年 - 1976年)は中華民国の軍人。北京政府、国民軍、国民政府(国民革命軍)に属した。馮玉祥配下の「十三太保」[1]の1人としても知られる。字は樸庭。 事跡陸軍大学を卒業し、禁衛軍に加入する。民国成立後の1914年(民国3年)、馮玉祥率いる陸軍第16混成旅に配属された。1923年(民国12年)、第42団団長に昇格し、1926年(民国15年)、国民軍軍官教導団団長に任ぜられている。以後、第21混成旅旅長、第32混成旅旅長、西北軍兵站総監などを歴任した。 1929年(民国18年)、国民革命軍第2集団軍兵站総監、第7軍副軍長に任ぜられる。反蔣介石戦争で馮玉祥が敗北した後、聞承烈は韓復榘に随従して山東省入りし、済南市市長に任ぜられた。1936年(民国25年)9月、陸軍中将銜を授与され、11月、山東省政府顧問となる。日中戦争(抗日戦争)期間は、第6戦区司令長官部兵站中将総監などをつとめた。 1946年(民国35年)11月、制憲国民大会代表に当選している。中華人民共和国成立後も大陸にとどまり、中央文史館館員となった。 1976年、病没。享年88。 脚注参考文献
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